実家の母の思い出☆彡

今は、認知症が入って、あまり料理を作らなくなった母ですが、
ふと気がついたら、実家に帰ると、母が
「お前が好きだから、ブロッコリーのサラダ作ってあるよ。」
と、言って朝食に出してくれていました。
我が家は二人姉妹で妹がいるので、勘違いをしているのかも
しれませんが、
自分の好きなものを作ってくれる気持ちが有難くて
違う。
とは、言えないままに、残さず食べているうちに
ブロッコリーが大好きになりました。


後日、妹にブロッコリー好きだっけ?
って聞いたら、妹も
「とくには好きじゃないよ」
と、いう答えだったので
いつか、ブロッコリーのサラダが出た時にたくさん食べていて、
私が、ブロッコリーが好きなんだと思ったのかもしれません。


小さいときは、自分の言うことを聞かないと
すぐ手が出た母でした。
それが止まったのは、中学生の時、いつものように
自分の意見が通らなくて、玄関で手をあげだしました。
母が叩く手が痛くなって、玄関の横に立ててあった、
おもちゃのバトミントンを見つけ、それで叩こうとしました。
さすがに物を使ってまでは叩かれると危ないので
必死に手をつかみ、叩かれないようにしました。
私は、当時痩せていたのですが、背は高かったので
昔の女性にしては背が高かった母を抜いていて
手をつかんだら、抑えつけられる状態になったことに
母は気が付いて、それから叩かれることは無くなりました。

歳をとってから、母から聞いたのですが、
亡くなった父が昔の男性で、口には出していなかったけれど
子供がかわいかったらしく
「専業主婦でいるのだから
家のことは、子供に手伝わせないで
お前がやれ。」
と、言っていたそうで、そのうっぷんが子供の
特に私にあたっていたようです。
妹の方が、子供のころは体重もあり、力があり、
すぐに対抗していたようです。


弱虫で泣き虫で、力も弱く、
すごく内気な性格でしたが、自分で動けば、自分の望む方向へ
少しでも変えられるのだ。
と、気が付いた第一歩です。


その後、母は妹と私にお互いの悪口を言っていたので
子供のころから、姉妹の仲は、あまり良くなかったのですが、
20代半ばに、偶然美容室で読んだ雑誌に載っていた萩本欽一さんの
家族は、当たり前じゃなくて自分たちが作り上げていくもの
という内容の記事をみて、妹に
母は、私にはあなた(妹)の悪口を言っている、
あなたには私の悪口をいっている。
良く考えて?
私たちがけんかしている理由は本当にあるの?
妹は、少し考えて気が付いて
それから、仲が良くなり、姉を立てる妹になりました。

母が自分の食べ物を覚えてくれている
良い話を書こうとしていたら、
その前のことを思い出して書いてしまいました。
でも、その後は自分にとっては理想の普通の家族になりました。
今は、母は自分のしたことを忘れ、良い母親だった。と思っているでしょう。
私たちも悪いことは、そこで一旦許し、記憶の一歩奥にしまいこんで
でも、母がボケて変なことをいうときは、
時々、そうだったんだよね
って、姉妹で母に言っています(#^.^#)


ふと、気がついたら、1/14は父の誕生日でした。
思い出させてくれたのかな(#^.^#)


あなたが幸せになりますように☆
見に来てくれてありがとう♪

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